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わたしの、懺悔
ロック
かつて実家で飼っていたわんこ、ロック。

なんかもったいつけてウダウダと良い子な発言をしていますが、わたしがユキサコの生涯に対してこれほど真剣に対峙しようと思っているのには理由があります。それはわたしがまだ、「責任」という言葉の重さを知らなかった頃の話……とてもとても長い話になります。


わたしが中学生の頃、友達が「捨て犬を5匹も拾ったので1匹もらってくれないか」と相談してきました。ちょうどその頃わが家では、わたしと弟に“犬飼いたいブーム”が訪れていて、週末に家族でペットショップを訪ねては「ハスキーはでかくなりすぎるよね」「シェットランド、高っ!」とかいうやりとりを繰り返していたところだったので、「どうせなら困っている友達に協力してあげればいいんじゃないか」という話になり、引き取ったのがこの子犬――ロックでした。
ロックを引き取って帰ったその日、段ボール箱に入れた彼を自分の枕もとに置いて寝たのですが、真夜中になってクーンクーンと鳴き出し、困り果てたわたしは自分の指を吸わせながらようよう眠りについたのを覚えています。

ロックは、おとなしい……とは言い難い性格でしたが、怒られればすぐに無駄吠えをやめる、比較的賢い犬でした。成犬になってからは体格も中型犬ほどのサイズになり、十二分に番犬として活躍してくれたものです。
そんなロックが、一度だけ怒られても吠えるのをやめなかったことがありました。当時、わが家と祖母の家は目と鼻の先にあり、たがいに一つの庭を共有していたのですが、ある冬の夜、パーキンソン病を患っていた祖母が薬の副作用で幻覚を見て家から飛び出し、庭で倒れたことがありました。真夜中のことだったので誰も気付く人がおらず、もしそのまま朝まで倒れていたら、おそらく命が危なかっただろうと思います。しかし、異変に気付いたロックが激しく吠え続け、おかしいと思った両親が庭に出て倒れている祖母に気付いたのでした。この時ばかりは、「ロックのお手柄だねぇ!」と家族みんなで褒めたたえたものです。

ロック

そんなロックも、生きていれば16歳になります。しかし、彼の生死を確かめることは、今となっては叶いません。
はじめの頃こそ、コロコロ走り回るロックと毎日のように遊んでいたわたしでしたが、いつしかロックの体が大きくなり力も強くなってくると、散歩や遊んでやることがだんだん億劫になってきました。高校生になった頃には部活や塾で帰宅が遅くなることを言い訳に、ほとんど散歩もしなくなっていたように思います。そして大学生になったわたしは県外で一人暮らしをはじめ、たまの帰省時にもロックの頭をひと撫でする程度――世話らしい世話など何一つしなくなっていました。弟には「姉ちゃんが拾ってきたのに、なんで俺ばっかりロックの散歩せなあかんねん!」と何度も文句を言われましたが、そのたびに「だってそこに住んでないんやからしょうがないやろ」と言い訳していたのを覚えています。

わたしが大学に進学して3年後、中四国地方で大きな地震がありました。築数十年以上経っていたわが家は大きな被害を受け、取り壊しが決定しました。その頃には祖母の体調が悪化し、入院を余儀なくされていたため、人の住まなくなった祖母の家に家族みんなで引っ越したのですが――そこにロックの居場所はありませんでした。
わが家を取り壊した跡地にマンションが建つことになり、庭は駐車場としてアスファルトで埋められてしまいました。祖母の家には小さな中庭もあったのですが、すでに他界していた祖父が大切に育てた草花が密生していて、ロックの犬小屋を置くスペースがありません。なにより、弟は翌年に県外への進学を控えており、入院中の祖母の世話で父も母も手一杯で、ロックの世話をする人がいなくなっていました。

ちょうどその頃、母が祖母の入院先の病院で「番犬になるような犬を探している」というおじいさんと出会いました。一人暮らしだが通院などで家を空けることも多く、不用心だから番犬が欲しいと話すおじいさんに、母はうちのロックをもらってくれないかと申し出たそうです。話はすぐに、そしてわたしの知らないところでまとまっていました。

わたしが帰省すると、もう、ロックはいませんでした。わたしに断りもなくロックをあげてしまったことを恨めしく思わなかったわけではないけれども、「自分の飼い犬」と呼べるほどの世話をしてこなかった自覚もあったため、わたしは口をつぐむしかありませんでした。結局、ロックとのお別れはできていません。
これは母から聞いた話なのですが、ロックをおじいさんに引き渡した後、彼は2度わが家に帰ってきたのだそうです。わが家からおじいさんの家まで、車でも30分ほどかかるらしいのですが、1度目はおじいさんから「犬がいなくなった」と連絡を受けた3日後に、2度目は連絡のあったその日に帰ってきたのだとか。家の裏口で「ただいま!」といわんばかりの顔で座っているロックを見たとき、両親ともたまらない気持ちになったのだと言います。こちらからもらってくれとお願いした犬だけに申し訳なさもあったそうですが、3度目に帰ってきたときには「しかたがないからやっぱりうちでなんとか飼っていこう」と覚悟もしていたそうです。けれど、3度目はなかった。「お願いして引き取ってもらったんだから、お前はもうおじいさんのところの子なんだよ。もう帰ってきたらダメよ」――そう言い聞かせた母の言葉を、賢いロックは理解したのだろうと思います。


その後、おじいさん自身が体調を崩されたのか、おじいさんと連絡をとることができなくなり、ロックの行方もわからなくなってしまいました。捨て犬のもらい手を探していたあの友人宅では、ロックの兄弟犬が今も元気に生きているそうなので、ロックもおじいさんの親戚などに引き取られて元気にやっているのかもしれません。できればそうであってほしいと、わたしの勝手な願いです。
ユキオを拾ったとき、ユキオを飼おうと決意したとき、いつもロックのことが頭をよぎっていました。「ロックとあんな無責任な別れ方をしたのに、また性懲りもなく新しい命を抱え込むの?」……何度も何度も自問自答したし、ロックに申し訳ない気持ちも後ろめたい気持ちもたくさんたくさんありました。

ユキサコ

でもだからこそ、今度の命は、最後までわたしが責任もって見届けたい。勝手な言い分だと思われるかもしれないけれど、それがわたしにできるロックへの償いでもあると思っています。
――これが、わたしの懺悔です。


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このブログをはじめた頃から、いつか告白しなければ……と思っていた話。ようやく形にできました。
| かこトーーク | comments(4) | |
縁づくまでの道 補足編
今となっては、拾い猫であるユキオとイサコにデレデレの毎日ですが、ほんの少し前までのわたしならきっと、今の自分に冷ややかな視線を送っていたのだろうと思います。ささやかな嫌悪さえ抱いたかもしれません。

いつからそう考えるようになったのかわからないけれど、わたしは「捨て猫、捨て犬を拾う」ことイコール「偽善」だと思っていました。そのとき目の前にある命を助けたところで、それはもっと多くの同じ境遇にある命に対してあまりにも非力な救いの手にすぎないし、それを承知でひとつやふたつの命を救って満足しているのならばそれは、エゴ以外の何物でもないと考えていたからです。根本を正すことをしないで、その場しのぎの救いを少数に与えたところで何になる?そんなことは、思慮の浅い人間がすることだと思っていました。

少し話はそれますが、わたしは伊坂幸太郎という作家が好きで、その人の著書を好んでよく読みます。今年の春、図書館で手に取ったのも、彼の『砂漠』という小説でした。



この小説に登場する西嶋という人物の言葉に、衝撃を受けたものがあります。

「目の前で、子供が泣いているとしますよね。銃で誰かに撃たれそうだとしますよね。その時に、正義とは何だろう、とか考えててどうするんですか?助けちゃえばいいんですよ」
(伊坂幸太郎、「砂漠」、実業之日本社、2008年、208ページ)
西嶋は、たとえば野生の鹿がチーターに襲われそうになっていたとしたら、迷わず助ければいい。「野生のルールを破ることになるから」なんて言って見捨てるのはただの言い訳だ、と言います。チーターと鹿、そのどちらを救うかは、その時可哀想に見えたほうを救えばいい。「それは主観的じゃないか」と言われようとも、俺を動かしているのは俺の主観だ、と。

また彼は、動物管理センターに保護された犬が保護期間が切れて処分されそうになっているのをホームページで知り、自ら引き取りに行きます。誰も引き取りに行かなかったら、こいつはピンチだったんですよ。ピンチは救うためにあるんでしょうに、と。
これからも保護期間の切れる犬が出てくるたびに助けに行くのか?と聞かれれば、今回はたまたま見て気になったから助けただけで、次からはもうあのホームページを見ない、と断言します。「目の前で困っている人がいればばんばん助けりゃいいんですよ」という主張に矛盾してないか?と言われても、「矛盾しちゃいけないって法律があるんですか?」と、ばっさりです。

この小説を読んで以来、わたしの中で何かが確かに変わったような気がしていました。そしてユキオに出会ったあの日、わたしは迷いはしたものの、目の前の命を助けることを選択しました。


世の中、以前のわたしのように捻くれた人間ばかりではないので、中には「捨てられてた仔猫を拾って育てるなんて偉いわねぇ」と思ってくださる方もいらっしゃるかもしれません。でも、わたしは自分で自分が偉いことをしたとはどうしても思えません。わたしはただ、「可哀想」と思ってしまった自分の気持ちを、なんとかして治めたかった――その方法が、ユキオとイサコを拾って帰るという選択だっただけにすぎません。そういう意味ではむしろ、自分のために彼らを拾ったと言えると思います。やっぱり仔猫を拾って帰る人なんて、ただのエゴイストにすぎなかったわけです(笑)。

なんだかユキオとイサコとの出会いを美化しすぎてしまったような気がするので(もちろん自分にとっては、あれほどドラマチックで運命的な出会いはなかったと思っているわけだけれども)、補足として実際のところをお伝えしてみました。面白くもなんともない、長い話ですみません。

ユキオとイサコ
結局のところわたしは、このひとたちが幸せそうならそれで幸せ。それだけなのです。


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わたしなんかよりももっと積極的に捨て猫について考えている方には、本当に頭が下がります。
| かこトーーク | comments(3) | |
縁づくまでの道 イサコ編
ユキオとイサコ
すぐ調子に乗るのが、ユキオの悪いとこ。ほら、イサコさんが嫌がってますよ。

イサコ
「やーめーろーやー」

今となっては、日々このようにほほえましい(?)光景を繰り広げてくれるふたりですが、出会ったときの相性の悪さといったらもう!……ま、一方的にユキオがビビっていただけなんですがね。


入院から1週間。自力で離乳食を食べれるようになった仔猫は、無事に退院することができました。とは言え、骨折個所はあご。退院したての仔猫の顔は、不自然にのっぺりと平らで目も左右いびつにずれており、お世辞にも「かわいいねぇ」とは言い難い状況でした。
仔猫を助けたときにはその命を守りたい一心で、その後のことは「なんとかなるさ」ぐらいにしか考えていなかったわけですが、後にその自分の考えの甘さを思い知らされることとなります。

仔猫が退院してしばらくは、ユキオのメイン居住区であるリビングから離れた部屋で世話をしていました。エサは自分で食べられますがトイレがなかなか覚えられず、保温のために寝床に置いたアンカを包んだタオルは、1日に何度も何度も取り替えて洗濯しなければなりませんでした。また、退院当初から食欲だけは旺盛だったのですが、涙とくしゃみが止まらず、朝晩の薬が欠かせません。
仔猫の世話をしては、「何やってるんでつか!」と大鳴きするユキオと遊び、ひと段落して仔猫のもとに戻ればウンチとシッコで汚れたタオルが待っている……という生活がしばらく続きました。

さすがに自分がしんどくなってきたことと、ひとりにさせておく時間が長くなるにつれ甘えがひどくなるユキオがかわいそうになり、ふたりを引き合わせる決意をしたのは、仔猫を連れて帰って2週間が過ぎた頃でした。

なんとなく嫌な予感がしたので、初めてふたりを引き合わせるときは、スカさんにも立ち会ってもらいました。仔猫をかくまっている部屋にユキオを連れて行き、ケージ越しにふたりを対面させる。うまくいけば、子猫もケージから出してユキオと触れ合わせてみようかしらん?なんて思っていたのですが。
ふたりを対面させた瞬間、とりあえずユキオは、しっぽを爆発させて30センチくらい飛び上がりました。慌ててケージから離れる際、滑ってこけるほどのうろたえっぷり。あとはもう「シャー!」と威嚇の嵐。すぐさまスカさんがユキオを抱えあげ、すみやかに部屋から退場させたのでした。

チキンなユキオが仔猫を受け入れてくれるのは、容易なことではなさそう。とは言え、不細工な上にあごに爆弾抱えた仔猫(先生に「もしかしたら、将来的にあごが外れたりして手術が必要になることがあるかもしれない」と言われています)を引き取ってくれるような人が、そうそう簡単に見つかるとも思えない。ユキオはあんなにビビっていたけど、仔猫の方はユキオと遊びたそうなそぶりを見せていたし、なんとかならんもんだろうか……。そんな思いで、毎日少しずつユキオと仔猫を一緒にさせる時間を作り、ふたりの距離を縮める努力を続けてみたのです。


あれから2週間。
ユキオとイサコ
これぞ努力の賜物。

すっかり仲良くなったふたり。預かる命が倍になることに自分がきちんと責任持てるかどうかについては、何度も自問自答してみたけれど、「やるっきゃないっしょ」という答えしか出てこなかった。最大の難関である義父母の了承(うちは将来的に同居を考えているので、義父母の同意が欠かせないのです!)も、既成事実的な感じのアレでなんとか取り付けれたと思う、たぶん。

そんなようなわけで、ユキオの時のように「今日からは!」という明確な線引きがあるわけでもなく、なんとなく成り行きのような感じで今日までわが家にいる仔猫。たぶん、拾ってきた場所の地名からもじってつけた「イサコ」という名前で呼び始めた頃から、こうなることを薄々予感していたんじゃないかなと思うのです。わたしも、スカさんも。


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……ってことは、イサコの入院中にはもうこうなることが分かってたんだな。きっと。
| かこトーーク | comments(2) | |
縁づくまでの道 イサコ編
イサコ
退院したてのイサコ嬢。今も、大きな声は出ないのです。


ユキオをわが家の一員として迎え入れる決意をして以来、平日の日中はユキオとふたりっきりであははうふふな毎日を過ごしていたある日。またしてもわたしは仔猫を見つけてしまったのでした。 イサコと出会ったあの日から、まだ1ヶ月経っていません。

イサコがいたのは、片側2車線もある、大きな幹線道路の中央分離帯の脇。用事で車を走らせていたわたしは、目の前を走るダンプカーの大きなタイヤ、そのすぐそばに小さな毛の塊がむくりと動いたのをこの目で見てしまったのでした。
「あのシルエットは絶対猫だった!」
そう思うけれども、一瞬のことでもう通り過ぎてしまったし、わたしにはこれから外せない用がある。後ろ髪を鷲づかみにされる思いでその場を離れたわたしは、気もそぞろに用事を済ませた2時間後、まとまらない思考のままあの場所を目指していました。

祈るような思いで、動く毛玉を見かけた場所を通り過ぎる瞬間。2時間前まで確かに動いていたはずの毛玉は、今はもうくったりと地面に伏して動きませんでした。
「遅すぎたんだ――」
そう思い、目の前が真っ暗になったようでした。助けられたかもしれない命を、みすみす死なせてしまった。激しい後悔の念に襲われながら、それでもわたしは諦めきれず、近くに車を停め走って現場に戻りました。

歩道から車道を挟んで数メートル先に見える毛の塊は、確かに仔猫でした。ひっきりなしにその横を車が通り過ぎていきますが、仔猫は身じろぎもしません。
やっぱりもう駄目だったんだ……とその場を離れようとしたそのとき、走り抜ける車と車の隙間から、仔猫がゆっくり首をもたげるのが見えました。

「まだ間に合った……!」

あの瞬間を思い出すと、今でもやっぱり運命だったような気がします。仔猫が顔をあげたそのとき、つかの間、車の流れが途絶えました。「迷ってる暇なんかない」――そう考えるよりも先に、足が動いていたように思います。駆けつけたとき、仔猫はふたたびくったりと地面に体を横たえていました。そっと抱きあげると、「にー」と小さく鳴いたきりピクリとも動きません。それでもまだ確かに温かい仔猫の体を抱きしめ、わたしはここ10年で一番本気の全力疾走をみせました。抱きしめた仔猫を揺らさないよう細心の注意を払い、流れる涙もそのままに、気がつけば「……生きてた。まだ生きてた!」そう何度もつぶやいていました。

仔猫をタオルにくるんで助手席に横たえると、その呼吸のあまりの小ささに、はじめて恐怖が生まれました。仔猫は鼻と口から出血し、時々むせるように大きくなる呼吸音には、ゼロゼロと嫌な音が混じっています。わたしはただひたすら「間に合って!」と祈りながら、動物病院を目指しました。


イサコはあごの骨を骨折していました。顔の右半分を正面から強打しているようで、口が開かず、呼吸もうまくできないようでした。不幸中の幸いだったのは、猫の交通事故で致命傷となる可能性が高い、肺や膀胱に損傷がなかったこと。
「あとはこの子の生命力次第です。自力でエサを食べようとしてくれれば、回復も早いでしょう」
仔猫はそのまま、入院となりました。


結論を言えば、イサコはわたしの予想をはるかに上回るスピードで超回復を遂げ、わずか1週間で退院してくるわけですが、その後の顛末は次回に続くのであった。


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あれからまだ、1ヶ月経ってないんだな……と思うと、イサコの生命力に驚かされます。
| かこトーーク | comments(0) | |
縁づくまでの道 ユキオ編
ユキオとイサコ
たいそう仲のお宜しいことで(嫉妬)。

カラーを付けた途端、ユキオが見るからに「ショボーーン」となるので、どうにもこうにも不憫で付けたり外したりを繰り返しているダメな大人が一人。でもやっぱりあまり長く外していると、傷口あたりをんべんべしてしまうのでそれはそれで心配。病院でもらったお薬が明日で終了なので、明日先生に経過を見てもらって、カラー外しても大丈夫か聞いてみようね、とユキオに語りかけるも、当の本人は「知ったこっちゃない」顔で昼寝中。ま、そんなもんだわな。


では気を取り直して、ユキオとのなれそめを振り返る企画第2弾。

ユキオ
ユキオを保護してすぐのころ。頭が重くて上手に歩けませんでした。

当初、ユキオは里子に出すつもりでいました。いろいろ事情があって、わが家で飼うことは難しいと考えていたからです。なので、ペットショップで行われている譲渡会を見学に行ったり、里親探しを手伝ってくれるサイトを探したり、里親探し用のチラシに使う写真を撮ったり、少しずつ手放す準備をしていたつもりでした。

でも、ユキオを飼うことで生じるデメリットをどんなに挙げ連ねてみても、どんなに手抜きの名前をつけてみても、やっぱりユキオを手放すのが惜しくなってしまった……たぶん、わかりきっていたことだったのですが。毎日毎日6時間おきにミルク作って、抱っこして飲ませて、シッコさせてウンチさせて、かいがいしく世話を続けてりゃー、愛情の湧かない方がどうかしてるってもんです。

当時わたしがユキオの健康管理のために記録をつけていたノートがあります。
ノート

ノート
受験勉強のときでも、こんなにまじめにノートとったことなかった気がする。

ユキオが食べたものと、ウンチの出る出ないに関することばかりで埋め尽くされたこのノートを見ていると、今でもじんわり泣けてきます。生まれて初めて世話をした仔猫。目ヤニとわけわからん汚れできっちゃない子どもだったけれど、毎日毎日どんどんかわいくなっていった(ように見えた)。
卵3つ分くらいの重さしかなかったのが、あっというまにどんどん大きくなって、それがわたしの手から与えたミルクとこの子の生命力の賜物なんだと思ったら、この子の未来を誰か他の人の手にゆだねてしまうことが、とてつもなく惜しく思えたのです。

ユキオがわが家にやってきて3週間。体重が500グラムを越えたあの日、わたしたちの決意の代わりにユキオに首輪をプレゼントしました。
ユキオ
あの日の決意を、絶対に忘れない。――事実、忘れる間もないうちに、もう1匹の仔猫に出会ってしまうのは、猫神様の采配だったりするんだろうか。


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というわけで、次回からイサコ編。
| かこトーーク | comments(3) | |
縁づくまでの道 ユキオ編
ユキオ
ユキオを拾ったのは、5月最後の日曜日でした。

日々のつれづれに並行して、ユキオやイサコとの出会い〜彼らを飼うことを決意するまでのことを、カテゴリ「かこトーーク」で綴っていこうと思います。できればランキングを上げたい初心者ブロガーは、スカさん不在をいいことに更新もマメ。


ユキオは生後4週間くらいで、段ボール箱に入れられて道端に捨てられていたのを、わたしとスカさんが見つけて拾ってきました。「ミシマ」と名のつく神社の前で拾ったから「ユキオ」。里親探しをするつもりで拾ってきたために、なるべく情がわかないようにしようと、たった3秒でスカさんが決めた名前でした。

拾ってきたばかりのユキオの体重は、たったの170グラム。仔猫を飼育したことのある方なら分かるかと思いますが、小さすぎです。目も開き、歯も生え、よちよちではあるけれど自分で歩くこともできるのに、体重は週齢10日程度。片手の手のひらに乗ってしまうほどの小さな体に、当時のわたしはまだ「小さくてかわいい!」と楽観的に考えていました。

小さなユキオは、もちろんシッコもウンチもひとりではできず、哺乳瓶でミルクを飲むことさえ上手にできませんでした。毎日4回、6時・12時・18時・0時にミルクをあげて排せつを促す。それは確かに大変だったけれども(ものすごい睡眠不足になりました)、未だかつて経験したことのない、穏やかで満たされた時間だったようにも思います。

おかーちゃんの指を全力で吸う
上手に哺乳瓶からミルクを吸えないユキオは、わたしの指を吸うのはとても上手だった!

お腹がいっぱいになっても、たぶんお母さんのぬくもりが欲しかったのだろうユキオは、ミルクの後にわたしの指をせっせと吸うのが日課でした。このクセはイサコがわが家にやって来るまで続いていたのですが(体重4キロ近い猫が膝に抱かれて指をちゅっちゅしている姿には、そうとう萌えるものがあった)、イサコを舎弟にむかえてからというもの、オスとしての矜持が許さないのか今ではめったにちゅっちゅしてくれなくなりました。おかーちゃんは寂しいZO!


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ユキオをわが家に正式に迎えることになるまでには、わりと紆余曲折あったのです。
| かこトーーク | comments(0) | |

ISACO'S VOICE



【署名のお願い】自然エネルギー100%と原発の段階的廃止を実現するため「エネルギー基本計画」を変えよう!

PROFILE

ユキオ ユキオ
2009年春生まれの日本男児。チョビヒゲとかぎしっぽがチャームポイントの白黒はちわれ猫。モンプチ缶を見るとヒーハー!してしまうが、実はとんでもないチキン・ハートの持ち主。

イサコ イサコ
2009年夏生まれのアメリカン。交通事故により右目に白内障を患う可憐な美少女(ブサカワ説あり)。おかーちゃんも手を焼くおてんば娘だが、ときに“猫もビックリ”のどんくささを発揮。

おかーちゃん カナメ
通称おかーちゃん、もしくはおかん。ユキオとの出会いにより突如として猫愛に目覚めたアラサー専業主婦。

おとーちゃん スカさん
通称おとーちゃん、もしくはおとん。動物園の飼育員になるのが夢だった根っからの動物マニア。

キャン太 キャン太郎
通称キャン太。2010年12月、新たにわが家の一員として参入。特技は空気を読むこと。生後9ヶ月にして20パウンドブラザーズにめでたく加入決定!

PR

ミチポケみっちょんさんのステキ企画。
イサコも絶賛参加中。


キジ集会もあるよ。

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